ようこそ、おこしやす、修学院 式と申します。
今の京、昔の京、思いつくままに書き散らかしてます。どうぞ、ごゆるりと。
 
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2008.06.30 Monday
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路地の先は
中京あたりでは、「ろうじ」がたんとあります。玄関がおもてに面してへんお家は、この「ろうじ」で外と繋がれてるんです。壁の板のつくりや、床の石材もいろいろで「ろうじ」ごとにそのお家の個性が出てて、なかなか楽しいもんです。

「ろうじ」は雨にも濡れまへんし、外でも内でもない空間です。小さい頃はここでキャッチボールやら、鬼ごっこやら、よう遊びました。狭い「ろうじ」は遊ぶにもなにかと不自由ですけど、それがかえって、工夫をしたり、見立てをしたりするお稽古になってたのかもしれまへん。「ろうじ」の宇宙には野球グラウンドかて、すっぽり入ってました。

「ろうじ」は茶の湯が盛んになると、路地から露地と呼ばれるようになったそうです。「露」ゆうんわ、仏心があらわれる、ひとの本性があらわれるてゆう意味らしいです。茶人たちは浮世の塵を洗い去って、「真心を傾け尽くした露地の清浄さ」をこぞって創り出していったんでしょうねぇ。

そんなたいそうな見立てはようしませんけど、そこを通る人の気で、細長い空間は清浄にも陰気にも表情を変えるのはわかります。茶室のような特別な空間やのうて、「ろうじ」は毎日つかう道やからこそ、隠されへんものがあらわれてしまう怖さがあるんかもしれまへんなぁ。この季節、玄関から「ろうじ」の先をみると、外の世界は白い光に包まれてます。
2006.08.02 Wednesday
| 中京の思い出 | comments(4) | trackbacks(0) |
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2008.06.30 Monday
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この記事に関するコメント
京都の路地、それは僕にとっても不思議な空間です。
思わず入って行きたいけど、そこは他人の住む領域。
狭く薄暗い路地、その先が折れ曲がって見えないときなど別の世界につながる道のように思える時があります。

路地にカメラを向けると、何か覗き見しているような、ピーピング・トムになったような後ろめたい気になるのはなぜでしょう。
路地入口に屋根があるのも京都独特の風情ですネ
| Saki |
>saki様
ようこそ、おこしやす。

確かにろうじは半分、家の中ですさかい、カメラは向けにくいですやろなぁ。せやけど、いろんな個性のあるろうじですし、被写体としては魅力的やとおもいますわ。最近、この空間で遊ぶ子らを見かけへんようになったんは寂しいことです。
| 修学院小習 |
こんばんは。
ろうじ、イメージがいまいちわきません。。。。
路地から露地への変化だったのですね。興味深く読ませて頂きました。
京都の家のつくりはうなぎの寝床のような、といっても、実はじっくり拝見したことがありません。ろうじと共に体験してみたい空間です。
| m-tamago |
>m-tamago様
ようこそ、おこしやす。

路地はお武家さんのお屋敷にはあらへん、京の庶民の家の特徴です。利休さんは「数寄は路地入にて見る事肝要」てゆわはったそうですけど、この言葉ひとつとって、茶の湯がいかに町衆の暮らしに、寄り添うてたか、分かるような気ぃがします。
| 修学院小習 |
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