ようこそ、おこしやす、修学院 式と申します。
今の京、昔の京、思いつくままに書き散らかしてます。どうぞ、ごゆるりと。
 
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2008.06.30 Monday
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ゆくはかへるの橋
「京都検定」たらもんがあるゆうんわ、知ってましたけど、正直、たかをくくってました。最近、出題集をみせてもうたんですけど、よう分かれへん問いが、もうぎょうさんあります。この検定、ほんまにむつかしいですわ。

「新京極をつくったんは誰か?」とか「松尾大社の建築様式は?」とか、恥ずかしながら、ちんぷんかんぷんです。考えたら、京都は長いこと都として、入れ替わり立ち替わり、いろんなおひとが活躍してきた街ですやろ。郷土史はそのまま日本史ゆうことになりますし、出題ネタは無限にありますやろなぁ。

庵の近くにある、「一条戻り橋」もそんな歴史が降り積もった場所のひとつです。「戻り橋」は一条堀川にかかるちいさな橋で、その名の由来は、文章博士の三善清行ゆうおひとが亡くなった折、清行の子が、この橋の上で棺にすがって神仏に祈ると、清行は生き返って、親子は言葉を交わすことが出来たゆうことによるそうです。古くは源氏物語に「ゆくはかへるの橋」とかかれ、和泉式部も歌にしたはります。

いづくにも 

帰るさまのみ 渡ればや 

戻り橋とは 人のいふらん

(和泉式部)


源頼光四天王の一人、渡辺綱が美女に化けた鬼の腕を、太刀で切り落としたのは、この橋です。安倍晴明が式神を飼うてたのも、この橋です。利休が秀吉に切腹を命じられた折、その首が曝されたのも、またこの橋です。最近では、赤紙に招集された兵隊さんが、無事に戻ってこれるように、ここを渡って出征していかはりました。日本最初の電車が走ったんは、この橋の前の路ですし、昭和の始めには、この橋の下で、友禅洗いをしてて、堀川は紅に染まっていたそうです。

この、ちいさいちいさい橋の上で、ほんまにいろんな出来事が積み重なってきました。せやけど、今ではそんな歴史はもう飽きたとでもゆうように、なんの変哲もないコンクリートの橋がかかり、その下の堀川の流れは枯れてます。この街に積もる歴史は、すこしばかり多すぎるんかも知れまへん。
2006.09.06 Wednesday
| 都の歴史 | comments(8) | - |
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2008.06.30 Monday
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この記事に関するコメント
一条戻り橋、そんなにたくさんの歴史があったのですね。
晴明が式神を飼っていたというのは聞いたことがありましたが、それ以外は知りませんでした。
初めて見た時は水も流れず、コンクリートでそっけないなあという印象でした。でも、昔に思いを馳せると色々なものが見えてきますね。兵隊さんのお話は特に切ないものを感じました。

| m-tamago |
>m-tamago様
ようこそ、おこしやす。

晴明ブームで「戻り橋」も観光スポットの仲間入りをしたみたいですなぁ。せやけど、わたしにとっても、出征兵が家族と一緒にこの橋を渡って、別れの時を過ごしてたことは、いちばんこころに残るお話です。この街に暮らしてると、歴史の選り好みはできまへん。
| 修学院小習 |
一条戻り橋・・・渡辺綱が美女に化けた鬼の腕を、太刀で切り落としたと、安倍晴明が式神を飼ってたのは、知っていましたが、他のことは知りませんでした。

兵隊さんが、無事に戻ってこれるように、あの橋を渡って出征していったのですか・・・とてもせつないですね!

一条戻り橋と言うと、平安時代に登場してくる橋で、でも、今は、その面影もなくコンクリートの小さな橋・・・それが、戦争という、比較的近い歴史にも登場していたんですね〜。
今は、味気なくなってしまった橋と思っていましたが、いろいろな歴史を積み重ねてきたのだと思うと、この橋の向こうに深いものを感じますね!
| ルナ |
私の会社は一条戻り橋のたもとにあります。京都に行ったときは無理やり押しかけてます。そんな訳で今は味気ないコンクリートですが、地図片手に初めて辿り着いた時は思い出深く、またそこから先もまだ自分では踏み入むことができない憧れの地であります。
そんなこんなで、この橋にそんな歴史があっただったなんて・・・読みながら「ヘェー」「ヘェー」の連発でうれしい気分になれました!貴重なお話をどうもありがとうございます。修学院小習さんの雅な世界がもっと楽しめるよう精進したいと思います。
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>ルナ様
ようこそ、おこしやす。

そうですねぇ、このちいさい橋ひとつ、積もる歴史の重さには丈夫なコンクリートが必要やったんかもしれまへんなぁ。
あと、娘を嫁に出すときに、出戻らんようにここを避けてとおったて聞きましたけど、それはほんまかどうかは分かりまへん。
| 修学院小習 |
>?様
ようこそ、おこしやす。

堀川もお西さんや二条城など、歴史のある通りなんですけど、どうゆう訳かいちばん京都らしない風景の大路になってしまいましたなぁ。
わたしがお手伝い出来ることなどは高が知れてますけど、どうぞ、構えることなしに、気楽にどんどん踏み込んでいってください。
| 修学院小習 |
いつもホームページを見せていただいています。
「ゆくはかえるの橋」の記事を見ました。お忙しいところ申し訳ありませんが、源氏物語の中で「ゆくはかえるの橋」という言葉は「どの巻」にでているのか教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
| 坊っちゃん |
>坊っちゃん様
ようこそ、おこしやす。

坊っちゃん様が疑問に思われるとおり、今に伝わる大島本系では、宇治十帖にこのような表記はあらしませんねぇ..。撰集抄に「さて、其一条の橋をはもとり橋といへるとは、宰相のよみかへり給へる故に名付て侍り。源氏の宇治の巻に行はかへるはしなりと申たるは、是也とそ、行信は申されしか。」とあるのは、この当時流行った河内本に依ったもんなんでしょうか?

浅学にて、ええかげんなお答えしかできしませんですみません。ご興味がおありでしたら、夢の浮き橋ならぬ、夢の戻り橋を是非調べてみとくれやす。それで、もし発見されたら、またお教えくださいませ。
| 修学院小習 |
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