ようこそ、おこしやす、修学院 式と申します。
今の京、昔の京、思いつくままに書き散らかしてます。どうぞ、ごゆるりと。
 
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2008.06.30 Monday
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障子のむこうの冬
今日はせんせに暮れのご挨拶がてら、久しぶりのお稽古でした。ふだんは日曜は休んだはる嘯月はん、今日はなんやお茶会があったそうで、めづらしゅうやったはって、何ともとろけるようなお味のきんとんでしたわ。

冬枯れのお庭の木々はずっと風になびいてて、お庭に面した波打ちガラスごしに寒さが伝わってくるようでした。今は、エアコンたら上品なもんがありますさかい、お茶室の中はあったかいもんですけど、ほんまはそれも、せんないことかもしれまへんなぁ。

小さい頃はストーブこそありましたけど、外の冷気とは障子一枚、襖一枚隔てて、じかに向かいあってました。母屋から離れにむかう板張りの縁は、足の裏が痛なるほど冷たかったんを覚えてますわ。

北海道の方でも京都に来はると寒いてようゆわはります。なんでも北の国は家の中はものすご暖こうしはるんやそうです。やっぱり京都のおひとはケチやさかい光熱費を抑えたはるんやわぁてゆうのんが定説ですけど、それだけでもないですやろねぇ。

寒いときは寒いもんとして、季節に従うて暮らしていくんが、この町らしいんかもしれまへん。触れた茶碗のぬくもりや、お炭の赤々とした美しさは、寒い中でしか味わえへんもんがあります。

盆地ゆえの厳しい気候は、住む者にイケズな性分だけやのうて、四季に感ずる繊細な感覚も与えてくれてるようにおもいます。
2006.12.17 Sunday
| 中京の思い出 | comments(6) | - |
中京の鎮守の森
中京は町中ですさかい、お子の遊び場がすけないようにおもわれますなぁ。たしかに、ちいさな児童公園が学校の裏手にあるだけで、のびのびと走り回れる広場なんぞあらしません。せやけど、それで不自由やったかゆうたら、そうでもなかったような気がします。住めば都やあらしまへんけど、それはそれで、お子たちは遊び場を見つけていくもんです。

そんな場所のひとつに、お寺がありました。六角堂や本能寺、一歩境内に入りますと、まわりの賑やかな空気とは打って変わって、静かで、そこだけは切り取られた、もうひとつの世界があったようにおもいます。そうはゆうても、大人が感じるような歴史や仏法の気配やのうて、もっと気安うて、ほっこりするような..、えらい、乱暴な物言いですけど、中京の「鎮守の森」みたいなもんですやろか。

当時は六角堂は六角堂の、本能寺は本能寺の、遊びにもローカルルールがあって、それはいかにも、その場に似おた決まり事やったようにおもいます。たとえば、中京のませたお子らが、男女関係のもつれを糺しに呼び出される場は本能寺であったとか..、いや、もう遠い昔のことですさかい、記憶もあいまいです。

忘れては

うち嘆かるる 夕べかな

我のみ知りて 過ぐる月日を

(式子内親王)

せまい、中京のこと、いつもの親王はんのお歌でごまかさせていただきました。

歳がいくと、彼の地に足が遠のきます。久しぶりに訪れると、そこはもう、無邪気な神域ではのうなってて、歴史に裏打ちされた、由緒ある土地に変わってしもてます。「へそ石」は、もう京都検定に出てくる「有名な石」に変わってしまってます。
2006.09.19 Tuesday
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御所は広すぎて
京都の中心には、みなさんよう知ったはるとおもいますけど、御所があります。京都御苑ゆうんが正式な名ぁらしいですけど、京都で御苑ゆうてもまず通じまへんやろねぇ。わたしもその正式名称を知ったんは、最近のことです。

御所は京都では数すくない、ずっと向こうまで見通しの利く場所です。門をくぐると、目の前の景色がぱあっとひらけて、気持ちがおおらかになるように感じますなぁ。夏は暑うて、とてもよう歩けしまへんけど、涼しなってくる今時分の夕刻、ぷらぷら散歩するのはええ気持ちです。

御所は平安の建てもんの立派なことよりも、自然のゆたかなことがよろしなぁ。オオタカやアオバズクなどの野鳥、いろんな形や色の蝶や虫、一年中なんかしらの花咲く草木..、あと亀もいてますなぁ。

幼い頃、いつもはごみごみした中京の町中にいてましたんで、たまに御所まで、足を伸ばして遊びにいきますと、その敷地の広さ、木々の美しさに、時間の経つのも忘れて、夢中になって遊んでました。そうこうしてると、もうあたりが暗なってるのに気づいて、はよ帰らなとおもうのですが、御所の門はどこも似たよな造りなんで、まちがって、きた門とちがう門から出てしまうこともしばしばありました。

パニックです。

広大な御所の門は、中京にも上京にも通じてて、敷地の四辺はそれぞれ別の町に面してます。見知らぬ通りを目の前に、西も東もわからんと、不安に押しつぶされそうになりながら、半泣きでとぼとぼと闇雲に歩いてたんが昨日のようですわ。
2006.09.03 Sunday
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路地の先は
中京あたりでは、「ろうじ」がたんとあります。玄関がおもてに面してへんお家は、この「ろうじ」で外と繋がれてるんです。壁の板のつくりや、床の石材もいろいろで「ろうじ」ごとにそのお家の個性が出てて、なかなか楽しいもんです。

「ろうじ」は雨にも濡れまへんし、外でも内でもない空間です。小さい頃はここでキャッチボールやら、鬼ごっこやら、よう遊びました。狭い「ろうじ」は遊ぶにもなにかと不自由ですけど、それがかえって、工夫をしたり、見立てをしたりするお稽古になってたのかもしれまへん。「ろうじ」の宇宙には野球グラウンドかて、すっぽり入ってました。

「ろうじ」は茶の湯が盛んになると、路地から露地と呼ばれるようになったそうです。「露」ゆうんわ、仏心があらわれる、ひとの本性があらわれるてゆう意味らしいです。茶人たちは浮世の塵を洗い去って、「真心を傾け尽くした露地の清浄さ」をこぞって創り出していったんでしょうねぇ。

そんなたいそうな見立てはようしませんけど、そこを通る人の気で、細長い空間は清浄にも陰気にも表情を変えるのはわかります。茶室のような特別な空間やのうて、「ろうじ」は毎日つかう道やからこそ、隠されへんものがあらわれてしまう怖さがあるんかもしれまへんなぁ。この季節、玄関から「ろうじ」の先をみると、外の世界は白い光に包まれてます。
2006.08.02 Wednesday
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お江戸は遠おした
昨日のお話とは逆なんですけど、わたしの下の叔父は東京から嫁をめとりました。ふたりは留学先のモスクワで出会うて、そのまま互いを伴侶にしたんですけど、驚いたんは嫁の父親です。モスクワから帰ってきたら直ぐに、縁もゆかりもない京都へ嫁ぐことになったんですから。「一体どうゆうことだあ!」って血相かえて京都に乗り込んできはったそうです。

叔父の父親、つまりわたしの祖父はお父上をお迎えすると、ご挨拶もそこそこに祇園町のお座敷へお連れしたそうです。ひととおりの口上を終えると、「ほな、歓迎の舞を..」ったら言い出して、扇子を片手にとうとうと舞をやらかしたんです。これには生真面目でちょっと頑固な江戸っ子のお父上、えらい面食らってしまわはって、すっかり気勢をそがれはったて聞いてます。

似たようなお話はたんとありまして、祖母方の実家では法事になると、親族皆で火鉢を囲みながら、故人を偲んで和歌を詠まはるのが常で、やっぱり、遠方からのお客様をびっくりさせたはったみたいです。

本人たちは全然悪気はのうて、ことさらに風流心をきどってた訳やあらへんのです。テレビも無かったむかしのこと、今以上に文化風習のちがいは大きかったんやとおもいます。ゆうたら、京都がまだ外の世間を知ってへん、純粋に京都らしい最後やったんかもしれまへんなぁ。

そんな祖父も晩年はテレビで「銭形平次」たら「大岡越前」たら、そら一生懸命見たはりましたわ。ちょっとはお江戸を学ばはったことでしょう。

嫁いできた叔母は今も元気で京都に住んでます。もうあれから、五十年近くになるんやろうけど、いまでもしっかり東京弁をしゃべったはりますわ。あづまも京もあれへん、おなごはんがいちばん強おす。
2006.06.27 Tuesday
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四条が境です
四条通は八坂さんの石段へとつづく、京都の目抜き通りです。大丸はんはじめ、古くからの有名なおたなが立ち並んでいます。せやけど最近はだんだん老舗てゆわれるおたなもひとつひとつのうなってきて、寂しいかぎりです。

この四条通、下京区と中京区を分けてる境なんですけど、どうゆう訳か通りに面したおたなは北も南もぜぇんぶ下京になってます。実は中京が出来たんはつい最近、明治の頃で、伝統ある下京の名ぁに、四条の名だたるおたなが結束してこだわらはったらしいです。

わたしはこの四条のおたなで育ったんですけど、ちょっと越境して中京の小学校へ行かしてもろてました。そのせいか、どうにもお家が下京ゆう感じは全然あらしまへんかったですなぁ。下京は人通りもすけないし、子供心になんとのう入って行きにくかったんを覚えてます。

錦とか客商売のおたなが多いせいか、中京は、ぱあっとした明るさがあるようにおもいます。ひょっとしたら、中京の歴史の浅さが、町の明るさに繋がってるのかもしれまへんな。わたしは下京は詳しないですけど、中の道にもしっとりした落ち着きがあって、大路いっぽん隔てると、町の空気も微妙にちごてきます。
2006.06.16 Friday
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中京のこどもたち
こどものころゆうたら、もう三十五、六年も前のことになりますけど、四条や寺町京極の辺りはえらいにぎやかで、草木や土にはあまり馴染みの無い土地でしたなあ。かぶとむしゆうたら、大丸の屋上にいるもんやおもてました。御所まで行けば広い遊び場もありましたけど、中京からはこどもの足では、とお感じて、月に一度も行けへんかったです。
あっ、実は、中京は四条、河原町、御池、烏丸に囲まれた範囲やと、結構おおきいなるまでおもうてました。ここでは便宜上そうおもといてください。室町の方、すんまへん!

同級生には商売人の子らが多かったです。会社勤めの方はなんや肩身狭いおもいしはったんちゃいますやろか?まあ、日銭入るお仕事ですし、そこそこ小遣いに恵まれて、こまっしゃくれて早熟な子らばかりでした。PTAはそら何代もご近所ゆう土地やし、親どうしの確執やら、なんやら、微妙にクラスにも反映されてましたなあ。教室は「小さな中京」でした。

それも、最近は子らがおらんようになって、私の行ってた小学校もとっくに廃校になってます。児童公園もなんや活気がのうて..。三条や御幸町は、今はおしゃれなお店がぎょうさん出来て、それはそれで嬉しいんですけど、そこらへんを我が物顔でローラースケートに興じるちいさい子らが見れへんのは、なんやよそさんの土地になっていくような、ちょっと寂しい事やねえ。

そやけど、今でもたまに錦をあるくと、同級生のお店が昔と同じように繁盛されてるのを見かけて、嬉しいなります。同窓会など、絶対ないような土地柄ですけど、風の噂に、級友たちの消息をええことも、わるいことも、耳にしたりします。


みんな、がんばってな。ぼくもがんばってるし。
2006.05.04 Thursday
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